中高生の飲酒の背景にある「さびしさ」

中学生や高校生の飲酒は、ずいぶん昔からありました。現在、40代くらいの人たちが中高生だったころは、いわゆる「非行」と言って、集団で教員に反発して授業妨害をしたり、学校をさぼって遊んでいたり、夜町中をうろつくといった行動の中で飲酒が見られました。

 

このような若者に対して冷ややかな目を向け、「親の顔が見たい」と親や家庭を批判する大人もいます。彼らの行動は収まるどころかエスカレートし、ある日を境に姿を見せなくなったり、行方が分からなくなった子ども達もいました。

 

現在、スーパーやコンビニエンスストアなどで未成年がお酒を買うことはかなり難しくなっています。それでも、思春期の子どもの中には飲酒をしている子どもがいます。彼らの背景に何が起きているのか、もしあなたの子どもが飲酒をしていることが判ったとき、親としてできることについて見ていきます。

 

 お酒を飲もうと思うその瞬間、思春期の子どもの心はどのように動いているか
未成年の飲酒は法律で禁止され、販売した側は罰せられます。現代はコンビニエンスストアでお酒を購入する際、大人でも年齢確認をされます。一昔前のように、親の目を盗んでこっそり飲む、ということが難しい社会となっています。

 

ここでは、購入が難しい中で10代の子どもたちがどのように手に入れたのかについてではなく、そもそもなぜお酒を飲もうと思うに至ったのかについて考えていきます。

 

飲酒したことのある10代の子どもたちと話をしていると「ひとりぼっち」、「誰かにかまってほしい」、「生きている意味がわからない」といった言葉で心の叫びを表現してくれます。

 

そこには「お酒を飲んでしまえば不安から逃れられる」、「生きているかどうかを考えるのが怖いから」という理由が彼らにはあります。

 

飲酒を選択する子どもたちは、寂しさや虚無感という言葉で表しきれないものを抱えています。ではなぜ、そのような気持ちを抱くに至ったのでしょうか。

 

 

 自分がいる意味を考えることが怖い
思春期に「ひとりぼっち」や「生きている意味がわからない」という思いを抱くのは、特別なことではありません。むしろ、彼らのほとんどが一度は抱く感覚です。しかし、飲酒に至るには、それなりの理由や背景が必ずあります。

 

大きな要因の一つには、家庭環境があげられます。前述した「親の顔が見たい」という言葉は、そのような背景から来ているのでしょう。両親の不仲を日常的に見聞きしていたり、子どもが親から暴力を受けていたり、あるいは親側の理由で年齢にふさわしい世話をしてもらえていないなどがあります。

 

子どもが家庭の中で自分の居場所を見つけられないどころか、存在自体が危うい状況の中で育つと、「自分とはナニモノか」と考え始める思春期に入ってから、その影響が飲酒という形で表面化します。

 

また学校で居場所がなかったり、いじめ受けていたという子どもも多くいます。学校は子どもにとって、毎日の時間のほとんどを過ごす場です。ここで居場所を見つけられないことは、深刻な傷つきをもたらします。いじめについても同様です。

 

 子どもの寂しさに目を向けよう
子どもにとって自分の居場所となる家庭や学校で傷ついた子どもたちはたくさんいます。しかし、彼ら全員が飲酒に走るわけではありません。

 

また、寂しさや虚無感を抱いて、すぐに飲酒に直結するわけではありません。飲酒に至るまでには彼らなりのもがきや葛藤の経過があります。

 

「寂しい」という第一の感情を抱いていることを、身近な大人が気づき、「どうしたの」と声をかけ、丁寧に手当てすれば子どもは自分らしさや居場所を見つけていきます

 

しかし周囲に見過ごされ、「寂しい」という思いを長期的に抱えることになってしまったとき、飲酒に至ります。

 

あなたの身近にいる子どもたちは、今何を感じているかわかりますか。あなたの目に見えること、耳に届いている声ではない、こころの声が見えていますか。

 

大人のあなたに見えていることがすべて正しいとは限りません。あなたのこころで、子どものこころと向き合ってみましょう。

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