親を追いこむ「子育て」〜コントロールから解放されよう〜

 

今日もまた「もう〜!」、「また〜して!」と子どもに言ってしまったと、肩を落とす子育て真っ最中のお母さんは多いと思いでしょう。

 

そして私自身も、児童養護施設で子どもたちと生活を共にしているとき、自分の未熟さゆえに口にしてしまったこともあります。

 

このような場面では、たいてい子どもがぐずったり、親(大人)の気持ちにそぐわない行動をしているときです。

 

そのためこの言葉がこれで終わることはなく、子どもに対して次から次へと一方的に言葉を浴びせ続けてしまいます。

 

「何度言ったらわかるの。昨日も同じこと言ったでしょ」、「またぐずぐずして。理由を聞いてもわからないし、いったいどうしたいの!?」といった具合です。

 

こんなことは日常茶飯事、という人もいるでしょう。親自身もこのようやり取りがストレスであり、双方にとって良くないことはわかっています。

 

「一刻も早く止めたい」と思っていても、「子どもがいくら言っても変わらないから」、「子どものために言っている」という理由で繰り返している人がほとんどです。

 

なぜ、このやり取りが双方にとって良くないのでしょうか。ストレスが溜まるからというだけではありません。そこには、子どもの育ちに深刻に影響する要素が隠れています。今回はこのことを深めて考えて行きます。

 

 日々展開されている、子どもへの不平不満に隠されたもの
上記のやり取りの中では、どのような関係性が構築されているでしょうか。そこには、親のどのような思いが隠れているでしょうか。ひとつひとつ見ていくことにしましょう。

 

コントロール、支配−被支配といった関係性が着々と築かれています。子どもの意思を無視して、親が子どもの行動を一方的に意味づけ、次の行動を決めています

 

本当に「ぐずぐずしている」のでしょうか。親や大人が急いでいるがために、あるいは大人のペースとの違いによって、そのように見えているということはないでしょうか。

 

そして、親や大人の「こうなってほしい」という一方的に描いた願い・理想像に子どもを当てはめようとしています。

 

「ぐずぐずを直してほしい」、「はっきりと答えられる子になってほしい」、「行動ではなく、言葉で伝えてほしい」といったものは、親の願いです。子どもの気持ちはどこにあるでしょうか。

 

 日常化したコントロール(支配)関係の中で、子どもはどのように育つか
気持ちや意思を無視され、親の一方的な願いや理想像を押し付けられて育った子どもは、自分自身をとても小さく評価しています。

 

自分に自信が持てないことが多く、長期に渡って繰り返し行われていた場合には「自分は何をやってもダメな人間である」、「どうせやっても無駄」といった認識を持ちます。

 

自信が持てないために、また親からされた関わりをしっかりと学習しているために、幼い年齢であっても友達や周囲をコントロール(支配)しようとします。

 

年齢が上がっていくと、コントロールに乗らない友達は離れていき、孤立します。そして、気づかずにそのまま大人になってしまった場合、年下や経験の少ない人に対して、さらには自分の夫や子どもに対して支配関係を築こうとします。

 

 

 子どもをコントロールしない子育てをしよう
子どもをコントロールしていると気づいたら、自分自身を見つめてみてください

 

そこには、自信のない自分、子どもを思い通りに動かすことで満たされようとしている自分がいませんか。

 

子どもは親(大人)の満足をうめる存在ではありません。こちらの都合で、一方的にかわいがったり、怒ったりするようなペットでもありません。

 

子どもには、どんなに幼い年齢の子どもであっても、一人一人に人格が備わっています。「私が産んだ子どもだから」という意識は、そこには通用しません。

 

これからは「子育ち」という意識を持ってみませんか。子育てという言葉には、親が責任を持って子どもを育てなければならないという息苦しさがあります。

 

しかし、子どもは育つものです。「そんなこと言ったって」と思うでしょう。放置するのではありません。

 

子どもを信じること、そして待つこと、認めること。親がその受け皿を作っていれば、子どもは育ちます。「子育て」にがんじがらめにならず、子どもの育ちをともに楽しむ、少し肩の力を抜いて、子どもと過ごしてみませんか。

 

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