子どもの虐待に対するさまざまな対応がなされています。しかし、厚生労働省が発表する虐待件数は、年々増加する一方です。

 

2000年に児童虐待防止法が施行され、子どもや子育てに関する悩みや不安を相談できることが公になりました。

 

児童相談所に代表されるような、虐待に焦点を当てて相談や対応をする機関ができたことも、件数の増加に拍車をかけています。

 

「自分の子どもを育てる自信がない」、「親になる自信がない」と言える社会になったことは良い傾向なのかもしれません。

 

一方で、「自分の子どもはどんなことをしてでも自分で守り、育てなくてはならない」という親としての責任が、軽く取り扱われているようにも見受けられます。

 

ここでは、親を見る社会全体の流れとともに、親や家庭を「適正」という物差しで見ることによって陥る問題について見ていくことにします。

 

 自分らしさの中で「親」役割を見つける難しさ
児童福祉施設でさまざまな親子と出会う中で、親たちが抱えている苦しみを伝えてくれることがあります。

 

彼らのほとんどが「親として失格」、「自信がない」という言葉を口にします。

 

児童相談所をはじめとする公的機関や社会から「ダメな人間(親)」と見られていると感じ、自分にレッテルを貼っています

 

これは、児童相談所に関わったり、施設に子どもを預けている親に限ったことではないでしょう。

 

さまざまな事情で離婚を余儀なくされ、ひとりで子どもを育てている親、出産する前からひとりで育てることを決めざるを得なかった親、そして自分の手で育てたくても育てられない事情がある人たちの多くが、このような思いを抱えています。

 

まだ日本が昭和の時代のころ、泣き声が聞こえれば近所の大人が「どうした」と尋ね、気に掛ける光景がありました

 

現代は泣き声通告という言葉があるように、泣き声ひとつで児童相談所や警察に連絡が入り、その人たちが家庭訪問をする時代となりました。

 

世の中全体が、親を「適正」かどうか、「適正に」子育てをしているかどうかを「判断」する傾向が強くなっています。

 

そして、自分らしさの中で親のあり方や役割を見つけていくことがしにくくなっています。

 

 子育てしにくい社会
子育てのしにくさは、シングル家庭や核家族の増加ということだけに収まりません。

 

これまで見てきたように、適正かどうかという物差しで親を見る傾向が強くなってきたことも要因のひとつです。

 

一昔前も、子どもが悪いことをすれば「親の顔が見たい」と言い、田舎の小さな村ではしっかりした子どもを育てるために親の力が求められていました。当時も「適正」という物差しは存在していました。

 

しかし、昔は「あの家の嫁はできてない」となれば、気にかけて声をかけたり、時には容赦なく家に入っていって「子どもは育っているか」と目をかける近所の大人がいました。

 

一人で子どもを育てている母親が仕事で忙しく、朝食を食べずに学校へ行けば、先生がおにぎりを作って食べさせたりする光景もよく目にしました。

 

適正でなければないなりに、周りにいる大人たちが自分のできる範囲でおせっかいを焼きながら、家庭や子どもが育てられ、支えられていたのです。

 

適正でないと判断されると同時に、社会から孤立し、遠巻きに見られる現代とは社会背景が大きく異なっていました。

 

 これから子育てをする人たちへ
以前に比べてずいぶんと冷たい社会になってしまいました。子育てに関することも公的機関がイベントを開き、交流を図るなど、どこかぎこちなさも感じます。

 

このような現代に、どのように子育てをしていけばいいのだろうと迷い、苦しむ親たちは多いでしょう。

 

まず第一に、社会や周囲が決める「適正」ではなく、あなた自身の「適正」とは何か考えることが大切です。
 
あなた自身がどのように育てられてきたのか、親から大切に受け継がれていたものはどのようなものだったかを振り返ることです

 

それがあなたの中に抵抗なくスッと受け入れられたとき、それがあなたが考える「適正」でしょう。そしてそこに確固たる自信を持つことです。

 

仮に、あなたが親から受け継いだものの中で、素直に受け入れることができないものがあったとき、それはけして負や害ではありません。

 

あなた自身の価値観を見つける大きなチャンスです。

 

親の子育てを振り返り、自分は本当はどうしてほしかったのか、どのような子ども時代を過ごしたかったのかを考えてみましょう。

 

その中に、あなたが考える「適正」に対する答えは必ず見つかります。

 

周囲とうまくなじむことも大切なことですが、あなたという存在はひとりしかいません。

 

誰一人として同じ人生を歩むことができないからこそ、「適正」は人それぞれあって良いのです。

 

子どもを虐待によって傷つけ、命を落とすという結果が、その先にないという安全さえ確保されていれば、あなたらしさで親をしていいのです。

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